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『ベヒシュタイン技術者の会』に向けて ベヒシュタイントーンシリーズ Vol.3 ピアニストが一言『タッチ』と表現したとしても・・・

ベヒシュタイントーンシリーズ Vol.3
ピアニストが一言『タッチ』と表現したとしても・・・
              ピアノパッサージュ株式会社 ピアノ調律師 尾崎正浩

ピアニストと調律師は『目の前にあるピアノに理想的な状態を求める』という目的を共有出来たとしてもコミュニケーションにおける表現の違いを感じてきました。

それは「ピアニストは『演奏タッチ』を頼りに音量音質のトータルバランスで語り、調律師は『到達タッチ』(整調寸法)と単音の音色(ユニゾン・整音)等の細分化された作業で語る」というところです。

さて、ピアニストが一言『タッチ』と表現したとしても『タッチ』なる言葉の意味は広く使用され、全体をあらわす場合と一部分をあらわす場合があるので定義しましょう。

1・アタックタッチ 指と鍵盤の接触する時の感触(上部雑音)
2・ストロークタッチ 『サウンドポイント』までの駆動過程のタッチ感(ハーフタッチ)
3・到達タッチ 『サウンドポイント』から底まで到達タッチ感(アフタータッチ・下部雑音)
4・解放タッチ 底から戻り過程のタッチ感(アフタータッチ・トリル・同音連打)
5・トータルタッチ 1〜4までの総合タッチ感
6・全鍵タッチ 鍵盤全域のタッチ感
7・演奏タッチ 演奏法や演奏技術、ハーモニー感、音色等の表現手段

1・アタックタッチとはいわゆる手触り、白鍵の面取りや表面の状態、材質、例えば象牙なのかアクリルなのかでも異なります。
黒鍵も同じく形状、材質、表面処理などで影響します。指爪の接触音等の楽音に悪影響を及ぼすとされる『上部雑音』はアタックタッチで発生します。

2・ストロークタッチはハーフタッチと呼ばれることもあり、途中でダンパーが始動します。
始動が軽いのか重いのか、ハンマー質量を感じながら途中で不自然な抵抗がないか等チェックが必要です。
『サウンドポイント』とは音の出るポイントを意味します。
ご存知のようにKey 稼働領域約10mmの中で発音するポイントは底から2~3mm手前にあります。
この付近でジャックテールがギュレティングボタンに接触し、レペティションレバーがドロップスクリューに到達する(2点一致)ポイントがあり、その直後ジャックヘッドがローラーを滑り始めレットオフする訳ですが、演奏中はハンマーが様々な速度で運動中であり個別に感じる事はありません。

3・到達タッチはアフタータッチと呼ばれる事もあり、『レットオフ』後に『ドロップ』する過程と『働き』(ナッハドロック)の過程があり、その後Keyが底に到達します。
フロントパンチングクロスやペーパーの直径、材質、硬度、キーベッドや筬フレームの材質、形状と強度、弾力も到達タッチには重要です。
ご周知の通りバックチェックタイミングやダンパーストップレール隙間調整も影響を与えます。
また、発音後に鍵盤下を必要以上に強く押す演奏タッチは『下部雑音』の発生を促すと共にボディー振動を止める事になります。
これは音の立ち上がりを不鮮明にし、音質が平面的になり遠鳴りしない演奏に繋がると言われています。

4・解放タッチは底から戻る反応で特にトリルや同音連打に影響を与えます。
調律師は到達タッチのみをアフタータッチとしてとらえている方が多いですが、ピアニストは解放タッチもアフタータッチと話される事が多くここでもコミュニケーションの食い違いが起こって来たようです。
一般的にグランドピアノの場合は白鍵より黒鍵の方がシーソーの重量バランスや形状によって戻る反応が良い傾向にあります。実はこれ多くのピアニストが感じている事のようです。
アップライトの場合は他の力学が作用している場合もあり、一概には言えません。

5・トータルタッチは1Keyの統合タッチ感になります。

6・全鍵タッチはトータルタッチの総体で、ピアニストがリハーサル試弾や演奏によってピアノ全体から感じる印象になります。
不思議なものでトータルタッチ・全鍵タッチは、一度目と二度目でも変化します。
これは音量や音質の学習によって弾き手が演奏タッチを加減するためだと思われます。

7・演奏タッチは演奏技術や評価、個性等の表現に用います。

これらが『タッチ』の一言で表現され複雑に交じり合う現場では、実に不可解な状況になる訳です。
その上に調律・整音を含む音色や会場の響き、ピアノの位置、温度湿度の変化、照明、奏者の体調や心持ち、入場者数や天候によって変化するのが『タッチ』です。

メンタル部分はさておき、コンサートピアノ作業現場においてピアニスト最優先の要求は音色や整調寸法等にこだわるのではなく、『タッチ』(音量音質バランスを含んだ全鍵タッチ)を『そろえて』という表現になるようです。
我々調律師がメーカー基準整調寸法に則り精度を上げる事は重要だとしても、それだけに固執するのではピアニストが求める最終的な答えに到達出来ないと考えます。
寸法合わせを『ピッタリ』と行う事は目的ではなく手段や作業目安と考えてその先の答えを探求するべきでしょう。
なぜならば、仮に寸法がピッタリと合っていたとしてもアクションや鍵盤は自然素材で出来ておりそれぞれのKeyは形状も単体重量も慣性モーメントも異なります。
細かく考えればハンマーもウイッペンもどれ一つ同じ状態は現実には存在しない訳です。
それにプラスしてピアノ独自の魅力とも言える響板固有振動や弦インハーモニシティーという特性が加味されますから、突き詰めると1Keyのトータルタッチはそれぞれ『一品料理』なのです。
それをわきまえて微修正する事により、ピアニストが求める全鍵タッチを『そろえて』表現力の幅を広げる作業が重要だと考えます。
なぜならば、我々ピアノ調律師の現場は限られた時間の中で作業の優先順位を決めつつ最も効果的に進める必要があるからです。

話は変わりますが、以前、故 辻文明さんからミケランジェリの演奏会に向けてリハーサル前作業の話を聞いた事があります。
辻さんは、事前に同僚から「彼は(レペティションレバー)スプリングにうるさいよ。」と聞いていたので「これでもか!」というくらい徹底的にスプリングの微調整を繰り返し行ったそうです。
果たして、ミケランジェリはピアノを軽く試弾した後
「非常に良く調整されています。ただ、このピアノは私にはスプリングが少し弱いのでもう少し強く調整し直してください。その後もう一度試弾します。」
と言って帰られたそうです。
このように構造からタッチまで深く理解しているピアニストがいらっしゃるのも事実です。

経験豊かなピアニストの表現方法として
「ハーフタッチ(ストロークタッチ)とアフタータッチ(到達タッチ&解放タッチ)を『そろえて』、3本弦のハンマー同時打弦をチェックしておいて下さい。」
「それからこれとこれの2音がどうも目立つのとこの1音が沈むのでバランスを取って頂ければ後はこちらで何とかします。」と話される事があります。
目立つ音は響板特性が影響し、沈む音はハンマー重量が関与している事が多いです。
なんとも素晴らしいコミュニケーション能力と眼力だと感じます。

とは言っても、ピアニストと調律師は別人格で音楽的感性も演奏能力も体格も違いがあるという現実は存在します。
『そろえる』という目的はピアニストが求める無数の奥深い演奏タッチを理解する必要があるという事に繋がりますから、それは不可能と感じています。
増して時間や条件に制限がある現場だからこそ、ピアノ調律師には全鍵タッチに関しての想像力やセンスが重要になるのかもしれません。

その中で開放タッチを『そろえる』作業は特に重要のようで、Keyと指の一体感が増す事につながります。
ピアニストにとっては特に優先されるようで、予想以上に喜んで頂けます。

さて、話は変わりますが、一部の調律師がピアノを『いい音』にすると断言される場合が見受けられますが、『いい音』とは一体どのような状況の音を指しているのでしょうか?
単音なのでしょうか?ハーモニーなのでしょうか?
フォルテなのでしょうか?ピアニシモなのでしょうか?
本来『綺麗な音』や『刺激的な音』等、色とりどりの『いい音』は楽曲の魅力やピアノの個性と共にピアニストが演奏タッチで作り出すものです。
調律師は『いい音』を作るのではなくそれぞれのピアノが持つ『音の可能性』を広げ、幅広い表現力を持つ『いい全鍵タッチ』を作るべきと考えます。
ピアニストはホールの響きや整調や整音、調律等の総合でピアノを判断している事になる訳で、とにかく全鍵タッチが整ってさえいればピアニストは優れた演奏タッチで何とか出来る訳です。

また、ピアノニストが一部調律師の唱える『いい音』にそれほどこだわらないのはある意味プロフェッショナルの宿命でもあるのかもしれません。
なぜなら、プロは色々異なる条件下で(天候・会場・入場者数・ピアノメーカー・機種・整調・整音・調律・体調)で多種多彩な楽曲を弾く宿命にあります。
ピアノ自体の音色やチューニングに理想や決まった形を追い求めすぎるのはちょっとした変化でも不満や不安を感じてしまうことになり、常に冷静な部分が必要であろう演奏に支障をきたす可能性も出てきます。
ミケランジェリやホロヴィッツのようにリサイタルに自分のお気に入りピアノを持ち込むことができる事は一見理想と思われそうですが、ピアノは生もの、時と場合によって環境変化による著しい影響を受ける事がある代物です。
専属調律師の努力も虚しく演奏会が直前キャンセルになるような事態が起こったのかもしれません。
理想としては響きの良いホールと相性の合うピアノが年間を通じてしっかりと温度湿度管理されている事。
そして、ピアノのみならずホールの音響や環境変化を熟知している良い耳と技術力のある優秀な専属調律師に守られているホールが各都市に銘酒地酒の酒蔵のように存在する事が望ましいのかもしれませんね。

また、近年、各メーカーの努力、研究もあって全鍵タッチの基礎的なクオリティーが高い『整った』ピアノが多くなりました。
ピアニストにとって画一化されることはありがたい事で安心な面も数多くあるでしょう。
それは素晴らしいです。
しかしそれが進みすぎる事はピアノメーカー独特の魅力、個性も徐々に失う事を意味するかもしれません。
それらピアノの異なる個性的な特性を『そろえて』表現出来る幅広く奥行きの深い『ピアニスト』や『ピアノ調律師』が育たない(必用無い)事にもなり兼ねません。

ピアニストにとって単に弾きやすく無難なピアノが優秀とされる方向性だけにこだわりすぎる事はピアノ音楽表現の選択肢が狭くなっていくかもしれません。
聴衆もそれぞれメーカーやピアニストとの特性・個性のぶつかり合い、コラボレーションによる直感的、感覚的、そして瞬間的な魅力ある演奏に出会うことが少なくなるかもしれません。
多くのピアノファンにとってより幅広いピアノ観を望みたいものです。

その中で、ベヒシュタインが持つ個性的な魅力や無比の音色、表現力の奥深い可能性を感じ、率直に認めて演奏下さるピアニストの方々は、プロ中のプロでありチャレンジャーでもあると私は感じています。

「なぜ?ベヒシュタインで演奏する必要があるのか。」
この問いはピアニストにとっても永遠のテーマになるのかもしれませんね。

ピアノ芸術。
ピアノ音楽の奥深い魅力をベヒシュタインと共に次世代に紡いでいく為に。

次回は「『アップライト』の魅力と可能性 ベヒシュタイン&ホフマン」 についてお話します。
ありがとうございました。

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