ピアノトーンの奇跡『連成振動』と『二段減衰』前編

ピアノトーンの奇跡『連成振動』と『二段減衰』前編
ピアノパッサージュ株式会社 ピアノ調律師 尾崎正浩
今回は調律について2回に分けて考えて行きたいと思います。

『コンサートチューナー二人の相談事』
その1 
とある地方都市の大ホール専属調律師の話です。
有名ピアニストのリサイタルがあるので3時間をかけしっかりと調律をしてリハーサルを待ちました。
ところが、リハーサル後の評価は音が詰まった感じだとのことであまりかんばしくありませんでした。
急遽、15分で全体のユニゾンを微妙に修正したところ、なんとかOKをもらえました。
正直、3時間かけて精一杯やった作業が認められず15分の小手先の作業が評価された事に何か釈然としない思いがしたそうです。

その2 
とあるピアノサロンの専属調律師の話です。
有名ピアニストの演奏会前日にピアノをチェックしました。
ピアニストは何度もこのサロンで演奏会をしていて、お互いに信頼関係が出来ていました。
ピアノはとても安定していてしっかりと前日調律出来たので明日の本番前に1時間弱の最終チェックをすれば十分だと思い作業を終了しました。
ところが当日、ピアノを確認すると昨日帰り際に除湿器の設定を間違えたようで、オクターブがかなり変化していました。本番まで1時間もありません。
とにかく時間が無いので素早く音を聞きピンを動かし、大慌てで再調律をしました。
ひやひやの本番後、はたして、奏者の評価は「今までの調律の中で一番良かった!」だったそうです。
こちらも釈然としないながらも、なぜ良かったのか。その理由を相談されました。

この2つのケースでは、じっくりと聞いて納得のいくユニゾン合わせが出来ない状況で調律が行われました。
それがなぜか良い評価を生んだわけです。
結論から言うと、実はその音の聴き方こそが、奏者の聴き方、感じ方に近かったのではないでしょうか。
奏者は比較的短時間(0.5~1.5秒)で発生する『二段減衰』の音圧変化やハーモニー間の『差音』を感じ取りながら音の伸びや音色を判断していることが推測できます。

『ユニゾン調律』
調律師がユニゾンでピアノの音作りを心がける時に物理的伸びとは異なるピアニストが重要視する音楽的な音の伸びが重要な事は以前から言われていました。
さて、その音楽的伸びとは一体何でしょうか。
今日までそれには、弦の『連成振動』と『二段減衰』(多段減衰)と呼ばれる音圧維持が大きくかかわっていると言われてきました。

『連成振動』
例えばユニゾンやオクターブの調律中にチューニングピンを回しながら合っている部分がピンポイントではなくしばらく持続する状態、つまり、「ほぼ合った」と感じるところに多少の『幅』が存在するのはなぜでしょうか?
それは、『連成振動』と言われる弦の共鳴現象が起こるからだそうです。

『連成振動』とは、複数の振動体が隣接する状態にあり、かつ振動数が極めて近い場合に起こる同化共鳴作用のようなものだそうです。
つまり、光の屈折現象のように一体化して一つの振動体になろうと引っ張り合う(つられて溶け合うような)現象だそうです。
『弦連成振動』にはある程度のパワーも必要だそうで、ピアノが打弦式で音量の増大を目指して来たこと、進化の途上で中高音部が3本になりより太くなり、ブラスやアイアンからスチールになりテンションが上り、バスは交差方式を採用する事によってミドル弦と隣接した状態を作った事でより強く現れたようです。
また、弦『連成振動』には縦波と横波が存在し、特に縦波において3本の弦間隔(三ツ割)は音質にとても重要で狭すぎるとユニゾンの音は膨らみのない音になり、広すぎると緊張感に欠ける音色になるのはご周知の通りです。
これも『弦連成振動』の影響だと考えられ、3本弦の間隔がスピーキングレングス以外のフロントやバックでもしっかりと整っている事も整音作業においては重要な前提条件と言われています。 

『ミスチュー二ング』状態
熟練調律師が作る美しいユニゾンと言われる、いわゆる『ミスチュー二ング』状態とは『弦連成振動』がうまく発生している状況だと思われます。
ここでご注意いただきたいのは、音が出た瞬間が『合っている状態』でその後の2段減衰の波形や、音のシッポを伸ばそうと意図的に弦の横波を合わせている訳ではないと思われることです。
『ミスチュー二ング』状態のユニゾンは最初の発音(弦の縦波)が『合っている状態』なのです。
この状態のユニゾンは単音の美しさのみならず、音が伸び、ハーモニー間のスイートスポット(包容力)が広がるように思われます。
それにより、特に純正に近い4度・5度・octaveを弾いた場合、お互いで『弦連成振動』(同化作用;呼び水みたいな状態)を起こし、引っ張り合い、溶け合い、協調し合いながらより美しいハーモニーの基盤である差音の発生を促すと考えられます。

『4種類の発音』
ピアノトーンには打弦式であるゆえに時間差のある4種類の発音ピークと共にその後自然減衰が見られます。
そこで、発音における現象を改めて時系列で考察してみました。

1・弦の縦振動のピーク
最初に出る1つ目の音は高次部分音(1kHz~超音波)で縦波とも言われています。
ここで起こる弦の連成振動によって奏者が重要視する音の立ち上がりやタッチ感覚を決定するようです。
この縦波は弦の横振動よりはるかに素早く駒に到達します。
西口磯春教授の講演において物理モデルで縦波の影響が素早く駒、響板に到達して振動している様子を明確に視覚化出来た事はいいとても良い経験になりました
鉄の音伝達速度は5~5.5km/秒だそうで、鋼鉄製の弦はハンマー打鍵で衝撃を受け縦方向に音を伝搬し瞬時に駒や響板に1kHzから繊細な超音波振動までを伝えます。

2・響板の縦振動のピーク
響板は金属音の雑味を浄化させ森の精霊ともいえる癒しの超高次部分音を抽出すると考えます。
選び抜かれた針葉樹柾目方向の響板材音伝達速度は鉄を超える速度5.5~6km/秒とも言われています。
この超音波も含む高次部分音は空間を一瞬で支配し直後に消えていきます。
しかし、人の耳は残像現象のような反応を起こすのでこの一瞬の発音、響きが実際より長く印象を残し空間の響きや余韻、音色に重要と感じるからです。
当然ながらサロンやホールの音響に大きく左右され、デッドな部屋の場合は反射音を聴き取る事は非常に困難になります。
故にヨーロッパでは空間の響きが重要視され、部屋(空間)も楽器の一部であるとの考え方が自然な感覚なのでしょう。
今の所多くの物理的実験での音響特性計測では音によって癒されるとされる5kHz~超音波のデータがほとんど見かけられないのが残念です。
防音室設計者の意見では、計測しても不安定でほとんど検出されない事が主な理由のようです。
しかし、ベヒシュタインのような優れた響板材を使用した音の立ち上がりの早いピアノで測定すればかなり発生しているのではないかと経験上私は感じます。
今後のさらなる物理的研究が進む事を望みたい部分です。
また、西口教授の講演によると打音には『二次系列』と呼ばれる弦インハーモニシティーとは異なる不協音が高周波数帯(1~3kHz)に7~10音くらいピンポイントで発生していると日本音響学会で中村勲先生が1990年に表明され、その後、1997年にConklin氏が『ファントム パーシャルズ』と命名したそうです。
これらは響板の縦波からくる現象ではないかと推測されます。
ご存知のように響板はドイツトウヒ等の針葉樹の柾目の薄い板をはぎ合わせて作ります。
それぞれの板が持つ縦波の固有振動の共振現象だと思います。
ご存知のように、多くのピアノにおいて最高音部82F#付近にユニゾン調律が不安定な場所が現れます。
この現象も『ファントム パーシャルズ』の共鳴で、調律していると、次高音部にもその影響と思われるKeyが複数存在すると感じます。
次高音部の音色のばらつきにおいて『ファントム パーシャルズ』の影響を考慮しながら整音作業する事で、別の視点からの解決策が見つかる事も多々あります。
この部分に関しても今後の研究を期待したいと思います。
西洋がキリスト教と密接な関係があったであろう楽器にディミニッシュ(デーモン)やヴォルフトーン(ウルフ)、ファントム(幻・亡霊)などの表現を用いるのは畏敬の意味もあるでしょうし、ロマンチックにも感じます。
これらの現象によって、ピアノトーンの不思議な魅力の中に、インハーモニシティーの他にも単音でもヘテロフォニー的な音の世界を持っていることが証明されつつあるようです。

3・弦の横振動のピーク
音程を決定する振動で、打弦後ピークに達し素早く減衰する尖がった波形になります。
多くの部分音を含み横振動や弦振動とも言われています。
弦振動は駒とアグラフ(ブリッジ)を支点として横振動し多くの節を作る事で自然倍音系列音が1本の弦で発生します。
近代ピアノが持つ弦設計の個性とも言えるインハーモニシティーが各部分音に等比級数的に発生し、ピアノ独特のハーモニー感をより美しくする基礎になります。

4・響板呼応振動のピーク
響板の横振動で、音の立ち上がりが遅くピークに達し、緩やかでゆっくりと減衰する波形。
演奏者が音楽的な音と伸びを感じる部分と思われます。
これは響板横振動のフィードバックによって弦振動が影響を受け共鳴増幅する事によって起こるようで、この現象が『二段減衰』と呼ばれる現象を発生させていると思われます。
『二段減衰』とは一体何なのでしょうか?
それは、弦の横振動と響板横振動が呼応する事によって起こる現象のように思われます。
弦の横振動は駒ピンが斜めであることで打弦後に弦振動が上下運動から徐々に回転運動に変化するそうで、弦横振動は響板の特性によってそれぞれの弦振動が影響を受け始めるようです。
また、ピアノの響板は自然素材で唯一無二ですから、『二段減衰』は各ピアノの個性として加味され、調律によっても大きく変化する訳です。
ピアノは打弦楽器なのでハンマーと弦の接触時間や打弦位置の変化によって音量、音色が変化します。
また、音量(エネルギーの大小)は響板振動の発動点に大きく関与するので『響板特性』の影響を左右し、ピアノの個性に大きく影響するようです。

5・自然減衰音
『二段減衰』後の緩やかな減衰音です。
物理的な音の伸びになります。

私達はこれら複合された音をピアノトーンとして聴く事になります。
うまく調律されたピアノの音は響板からの波動と同調しながら微調整され、後述する『連成振動』が促進される事により響板とのエネルギー交換をうまくコントロール出来ているのです。
ベテラン調律師の方々が「ユニゾンは奥が深い。」と話される理由はここにあると思います。
1及び2の発音に関してはベヒシュタインのような優れた構造体のピアノには多く見受けられますが、量産型のピアノからの発生は少ない事もあり、近年まで、物理学的研究において、ほとんど注目されてきませんでした。

『ユニゾン研修会』
ベヒシュタインで約40年、整音や出荷調律、コンサート調律を手掛けていらしたマイスターの研修会を来日の時には10年位前から2日間かけて社内で行ってきました。
5年前の研修会でこの日は徹底的にユニゾン調律をテーマに勉強しようという事になりました。

私のピアノはM-180でした。
マイスターの前で調律するので最初は緊張しましたが、今はそれどころではありません。
しばらく音合わせをしていると、正直何がなんやらわからなくなってきましたが、ここらへんかなと思っていると、「良いじゃないですか。」と一声かけてくださいました。
その時に気が付いたのは「もしかしてこの音を聴いて確認しているのでは・・・?」と感じました。

その後私は休憩もかねて研修中の他の2名のそれぞれ部屋に行きました。
一人は12nでした。
中音部のユニゾンを見せてもらったら、割り振り部分のF・A・Cの3和音だけが出来ていると感じました。
「このトニック3和音は出来ている気がする。」と話したら、「その3つはマイスターにやって頂いたサンプルです。」でした。
次の部屋に行ってみました。
ピアノはB-208です。
作業中だったのでしばらく見ていたところ、作業を止めて、突然37Aの音をポーンと鳴らしました。
「その音出来ているね。」と言うと「この音はマイスターがサンプルでやってくださいました。」でした。
これら3つの検証でかなりユニゾンの感覚に自信が湧いてきました。

さて、一体マイスターはどの音を聴いていたのでしょう。
それは、最初の発音である弦の縦振動(1・弦の縦振動のピーク)を合わせてそれに伴う響板の縦振動(2・響板の縦振動のピーク)とその余韻を聴いてチェックしていると感じました。

この余韻はベヒシュタインや古いプレイエル・ベーゼンドルファーに多く出ている音だと思います。
一般的なピアノでは発生が少なく、聴くのも感じるのも難しいような気もしました。
それだけベヒシュタインの響板は素晴らしい事の証なのかもしれません。

今日まで物理実験や物理モデルでは3及び4の発音に関して多く究明されて来たようですが、マイスターが重要視していた1及び2の発音に関して今後の物理的探求を期待したいと思います。
また、ハーモニー間で発生する差音に関しては、演奏者の違いや楽曲の効果等の情報があまりにも膨大な為、あまり研究されて来ていないようです。

調律技術の出発点を考えれば、ユニゾンに限定して単音でのみ行う訓練は十分理解できますが、ポリフォニー楽器であるピアノの特性を音楽的に考えた場合には、ハーモニー感覚、つまり音程間で起こる差音の発生を考慮して、より効果的にコントロールして調律する必要があると思います。

耳を澄ませば・・・
その響きに触れ開かれた耳は『ベヒシュタイントーン』の感動を聴衆もピアニストもピアノ調律師も生涯忘れる事はないでしょう。

後編に続く

ベヒシュタイン技術の会 ベヒシュタイントーンシリーズ Vol.1

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