ベヒシュタイントーンシリーズ Vol.6 ピアノトーンの奇跡『連成振動』と『二段減衰』後編

ベヒシュタイントーンシリーズ Vol.6
ピアノトーンの奇跡『連成振動』と『二段減衰』後編
ピアノパッサージュ株式会社 ピアノ調律師 尾崎正浩

前編ではピアノトーンの不思議と打弦後に発生する音についてお話いたしました。
後編では調律の指針となるべきピアノレッスンの話から始めたいと思います。

『ピアノを学ぶステップ』
クラシックピアノを学び楽しむ過程には次の5つのステップが考えられます。
①・曲を聴いて好きなピアノ音楽に出会い興味がわく段階
②・ピアノ講師や独学で読譜して練習を始める段階
③・暗譜して弾く(指が覚える)段階
④・作曲者の意向や背景を学び、強弱や音色、響き、曲想を整える段階
⑤・部屋の四隅に耳を持っていくイメージで聴く人に伝える訓練の段階

②~④の段階は並行して学ぶことも多いと思われます。
また、個人でピアノ演奏を楽しむのは4の段階までで十分でしょう。
しかし、リサイタルを行うプロのピアニストや音楽大学専攻科のレッスンでは③までは出来ていることは前提の上で④や⑤の能力が練習対象となるでしょう。
響きのイメージや会場に合ったペダリングを含む奏者の想像力や感性は重要で、コンサート調律師のお仕事となれば⑤の視点も大切なわけです。

『ウィーン工場のマイスター』
ウィーンでユニゾン音合わせの技術指導を受けた話を聞く機会がありました。
今から50年以上前の話ですが、マイスターから次のようなことを言われたそうです。
「ピアノからの音を聴いて調律しないでください。」
「壁や天井からの反射音を聴いて調律してください。」
私が学んできた方法では考えもしない事であり、目からうろこが落ちるような感覚でした。
また、日本の一般的なピアノルームでは、学び感じる事は非常に困難だったと思います。

『ヨーロッパにおける調律』
ヨーロッパ的なユニゾン調律について「どのくらい狂わしたらいいのでしょうか?」とか「少しにじんだような状態なのでは?」等とご質問を頂くことがあります。
正直私も随分考えて来たテーマであります。
確かに日本においての調律訓練課程の耳では少しにじんだような状態に感じるかもしれません。

しかし、その答えは「いいえ、しっかりと合わせているつもりです。」となります。
私は、ユニゾン調律は音が出た瞬間的余韻が重要だと考える立場です。
基本的に本当に合っている状態は初歩の調律師の耳ではシッポが合っていないと感じることになります。
音楽的に求められるユニゾンはいわゆるピークやシッポを気にして無理に高次倍音の帳尻を合わせる必要はないと考えます。

非常に勇気が必要かもしれませんが、ある時期からは技術習得の初期段階で重要視されたであろうパラダイムを転換の必要性を感じます。
もしシッポがあまりにも上手く合わない場合は、弦の状態、駒の密着状態、同時打弦、響板横波f0特性、響板縦波(ファントム パーシャルズ)を疑ったほうが良いでしょう。
それらを修正した後でも、その現象が著しい場合はユニゾンで若干の修正が必要となるのはあり得ます。

『ユニゾン3本弦の音色』
ユニゾンの音色について考えてみましょう。
以前の私はユニゾンを2本3本と重ねると高次倍音がまろやかになり、基音をより太くなるように合わせてきたように思います。

しかし、もしそうならば高次倍音ビートの山と谷が相殺しているわけで、実は合っていないことに気が付いたのです。
つまり、「どのくらい狂わしたらいいのか?」ではなく「打弦時の高次倍音ビートも合わせる。」のです。
合うと高次倍音ビートの山と山が重なる事でより倍音豊かな傾向になります。
正確に合ったユニゾンは1本弦に近い音色になると考えます。
そして、後述しますが、もう一つ大切な特徴があります。

『ユニゾン調律のイメージ』
ユニゾンについてお話する時に、よく質問をするのですが、
「ユニゾン調律の時、感覚的に『打楽器』・『弦楽器』どちらをイメージされていますか?」

私は『打楽器』をイメージしてユニゾン調律する事をお勧めします。
これはあくまで調律の音の感じ方についてですので、ピアノを打楽器にしたい訳ではありません。

打弦時一瞬出る減の縦波、鍵盤上の音よりずっと上の超高次部分音を聴くのです。
そして重要な事は、ここで聴くべき高次倍音とはロングトーンで残った高次倍音ではなく打弦の瞬間に出る縦波(①・弦の縦振動のピーク)と思われる高次倍音になります。
それに伴って発生する響板の縦波(②・響板の縦振動のピーク)を合わせてください。

その音は駒と響板に伝搬し一瞬空間を支配するより超音波に近い超高次倍音です。
3本弦の縦波が合い響板の縦波と呼応すると途中で音が失速することなく、ホールや部屋の隅々まで広がります。
瞬時に部屋四隅に届き、そして、壁や天井に反射して戻ってきます。
可能な部屋ならばウィーンのマイスターが教えていたようにその反射音も聴いてください。
それは弦の縦波と針葉樹響板の柾目が醸し出す森林の響きに近いものです。
響板のささやきとでも言いましょうか、それを聴く努力をしてみてください。
次の瞬間、ピーク音(③・弦横振動のピーク)が優勢になります。

ピアノトーンの1つ目(①・弦縦振動のピーク)を合わせても調律師の耳にはピアノトーンの3つ目(③・弦横振動のピーク)4つ目(④・響板横振動のピーク)は多少の違和感があるかもしれません。
しかしそれは、同時打弦やハンマーの強度分布、それぞれの弦の状態や長さの違い、響板特性によって起こっているので多角的に修正する事でまとまって行くでしょう。

調律を学ぶ初歩の修行時代に目標とされる『完璧ユニゾン』(③・④をとにかく合わせる事)を目指す事は、重要な指針になるのは間違いありません。
同じく、ピンセットの技術を比較的聴きやすく回しやすい中音ユニゾンで習得するのは必要と感じます。
しかし、出発点はそれでいいとしながらも、指導者はその先がある事を伝える義務もあると感じます。

経験を積むにつれて『日本人的完璧ユニゾン』で弦振動の1つ目の高次部分音発生を考慮しないで消してしまう調律は『弦連成振動』によって起こるピアノが醸し出すハーモニーの連携作用効果の魅力を導き出せない事になりかねません。

さて、なぜ『完璧ユニゾン』を作ろうと思ってロングトーンを聴く事に無理があるのかを考察していきたいと思います。
駒ピンは斜めに打ってある事に注目してください。

『駒ピンの効果』
斜めに打ってある駒ピンの効果で、1本と2本に分かれて交互振動(位相反転)する事で減衰がゆっくりとなり長く延びていくのだそうです。
不思議な事に、物理実験でピアノのロングトーンの伸びはフォルテで弾いた時よりピアノで弾いた方が長く音が持続するそうです。
これは普通に考えると逆のようですが、フォルテで弾くと響板がより振動して弦エネルギーを吸収するからだそうです。

また、通常の3本弦とシフトペダルを踏んで2本弦で打弦した場合の方が良く伸びるそうです。
これは打弦した2本の弦が同相で振動し、打弦から3~4秒後に起こる2段減衰の音圧の低下後徐々に1本が駒を伝わって徐々に逆相に振動する事で物理的伸びを補助していると思われます。(故高田努氏『音を観る会』参照)

上手く調律されたユニゾンの3本弦は打弦された後、上下運動から駒ピンの作用で1秒後くらいに弧を描き始め徐々に左右振動へと変化していくそうです。
同時期に『二段減衰』(多段減衰)と呼ばれる響板特性による音圧の再上昇が現れ出します。

『二段減衰』現象は響板形状(材質、厚さや球面形状とシリンダー形状)によって異なると思われます。
球面響板の方が比較的強い波動で多段減衰が起こるようで、対してシリンダー響板はピークも減衰も反応が素早いようです。
という事は、ユニゾン調律は響板形状によって若干違いが出ると思われます。
『二段減衰』特性を調律師の技量によって活用修正出来る事が重要でそこに調律の違いによる音の伸びの差を奏者が重要視すると言われています。

ピアノの美しい弦楽器的な音をイメージし、追及して調律されている方々からは、反対意見も聞こえてきそうですが、ご安心ください。
演奏者が自在な演奏タッチでハーモニーとメロディーを生み出し、弦楽器にも打楽器にもそして、管楽器にもしてくださいます。
加えて、ピアノ音楽の大部分は単音ではなくハーモニーで演奏されます。

そこで、もう一つの視点が必要になります。
それは、和音間で発生する結合音の『差音』です。
この『差音』によって人の声やコーラス的響きの効果も得られるようです。

『差音の発生とその効果』
ピアノはコンサートモデルでさえ最低音からオクターブ位は基音が発生していないそうです。
それなのになぜ我々は最低音部をより低く感じることが出来るのでしょうか。
それは部分音間の『差音』を感じるからなのだそうです。

「差音」(さおん;difference tone)
差音(さおん)は、結合音の一種で、周波数の異なる2つの音を同時に鳴らした時に聞こえる2つの音の周波数の差に等しい周波数の音である。 これは、うなりと同じだが聴覚器官の非直線性によって一つの音として認識されてしまう現象である。たとえば、440Hzと441Hzの音を鳴らすと、1Hzのうなりが生じる。とすれば、440Hzと490Hzの音を鳴らすと50Hzのうなりが生じる。50Hzのうなりは人間には聞き取れないため50Hzの音として聞こえる。これが差音の正体である。(Wikipedia)

『女声コーラス』
ある女声コーラスで練習中の話です。
参加者の歌声が徐々に波に乗ってきて全員が綺麗にハモってきた時のことです。
「どこからか一瞬、オクターブ低い男性の声が聞こえた。女性しかいないはずなのに・・・。」という体験をされていた方がいらっしゃいました。

この『差音』という現象が中低音部で発生する瞬間、大音量ではありませんが、畏敬の念を感じるような地鳴りのような底鳴りのする優しい低い音を感じます。
周波数的にはピンポイントで発生し、明らかに実音よりオクターブ以上低い音が、ピアノの音は減衰音ですから発音直後瞬間的に聴こえるので、ハーモニーの時により多く、場合によっては人の発声のようにも感じます。
この現象を平均律調律のピアノや古典調律のパイプオルガンは利用して発展して来たのだと思われます。

『ハーモニーをまろやかにする差音の重要な効果』
しっかりと出来た割り振りでは、ユニゾン終了後に2音間(33F・37A)の約6.9回/秒のビートが3和音(33F・37A・40Cもしくは 28C・33F・37A) で弾くと半分の3.5回/秒のゆっくりしたうなりが少しの間響きます。
これは33F・40Cの5度、28C・33F の4度から発生する差音であるオクターブ下の21Fと37Aの10度のうなりが発生している現象です。
この『差音』の発生によって平均律で調律されるピアノの響きに理論値の半分の緩やかなビートが生まれ、暖かなハーモニーを作ることが出来ます。

ピアノのサイズや弾く強さにもよりますが、比較的短時間(1.5~3秒)で聴こえなくなります。
この共鳴をいかに沢山引き出せるかが、ピアノにおける平均律調律には特に重要と考えます。
つまり、差音をうまく発生するように調律出来たピアノはトニックで弾いた時には発音後短時間ではありますが長3度のうなりを半分に感じながら演奏表現できる訳で、音楽家が感じる豊かで温かいハーモニーにはこの差音効果が重要と思われます。

デミニッシュのハーモニーとは対極にあり、明暗も変化して表現の幅が大きくなると思われます。
ピアノの平均律ハーモニーは決して汚い響きではないのです。

『差音調律の重要性』
2音間や3音間に起こるピンポイントのハーモニーである『差音』をうまく発生させる調律における工夫が必要と思い今日に至っています。

ピアノ調律師は調律の耳と音楽的耳の両方を駆使しピアノ響板の声(ボディーの鳴り)に耳を傾け、壁からの反射音を聴く事が出来れば理想的なのかもしれません。
眼の前のピアノの響板構造の違いや響板特性(エフゼロ)を予め確認して響板をより良く振動させる打鍵方法を工夫習得してユニゾン調律に望むと作業がはかどるかもしれません。

3本弦ユニゾンにおける『二段減衰』と『連成振動』現象、それに伴って発生する『差音』は、『インハーモニシティー』と並んでピアノ進化の過程で生まれた神の手による奇跡の産物と言えるかもしれません。
そして『ピタゴラスコンマ』や『響板固有振動(f0)』は神の遊び心(悪戯)かもしれませんね。

また、実際の演奏では振動中の弦を再打弦する場合も多く、静止状態からの打弦とは異なる偶然性も加味し演奏表現に無限の幅が広がるのだと思われます。

『ベヒシュタイントーンの魅力』
ベヒシュタインはご周知の通り天使の羽のような崇高な気品の高い透明感のある音色が大きな魅力の一つと言われています。
この気品の高さには針葉樹が醸し出す響き(超高音周波数)が、大きく影響を与えていると思われます。
繰り返しになりますが、その周波数も他メーカーと比較してより高く発生していると感じます。
故に駒の材質や響板材も厳選する必要があるのでしょう。

『ユニゾンが合った状態』
ベヒシュタインのマイスターはこう語りました。
「ハーモニーの余韻が徐々に上がっていくようなイメージで調律をしてください。」と。
ピアノの特徴として、響板特性(f0)の影響で、f0の倍音上にある音は弦と響板がシンクロする事で打音直後に若干のピッチ低下が見られ減衰と共に徐々に上がってきます。
また、52C~57Fあたりから82Fis付近のファントムパーシャルズの影響で起こる響板縦振動の共鳴までの間はすべてのKeyが弦と響板が大なり小なりシンクロするのでその傾向にあると言える訳です。
つまり、真に合ったユニゾンは、マイスターの言葉通り自然と減衰しながら微妙にピッチが上がるようにピアノは出来ているのです。

『響板特性とキリスト教』
例えばベートーベンの音楽には多くの困難や苦悩の後に天空から救いのような響きをラストで表現することが多い気がします。
それは祈りであり、天使との会話、天空への導きともとれる部分です。
ピアノはキリスト教と密接な関係があって発展してきたと思われることはご周知の通りです。
このピッチが微妙に上がるピアノの減衰音形式はヨーロッパ民族楽器として、また、文化的にもその発展史において心に響くパートナー楽器としても非常に重要な要素と私は考えています。

『真に合ったピアノのハーモニーは徐々に天空に上がっていく・・・』

耳を澄ませば・・・
その響きに触れ開かれた耳は『ベヒシュタイントーン』の感動を聴衆もピアニストもピアノ調律師も生涯忘れる事はないでしょう。

次回は『割り振り(ハーモニー感・差音)そしてユニゾン(音質)と整音』についてお話します。
ありがとうございました。

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