近代ピアノのルーツ・グロトリアンに行ってきた その17
シュタイン社長との雑談の中でこんな写真も出てきた。
達筆過ぎる?ドイツ語。
多くが判読不明。
テオドール・シュタインヴェック氏が作ったグロトリアンなのだろうか…。
彼は1865年に彼の片腕とも言える調律師アーサー・フォン・ホルウィードとともに正式にニューヨークに渡っている。
名著「スタインウェイ物語」によると、1880年からテオドールはニューヨークからハンブルクにホルウィードとともに帰国、アメリカからスタインウェイ半製品を輸入しての組み立て事業を開始するが、その多くはロンドン直営店に輸出、展示販売されたようだ。
彼はブラウンシュバイクが相当好きだったらしく、帰国後、まず、ブラウンシュバイクの故郷近くに帰ったようだ。ハンブルク工場が軌道に乗り1884年にはブラウンシュバイクの大豪邸に移り住んでいたようだ。
ミュンヘン1888年とあるが、確か、彼は翌年1889年2月に天に召されている。
その後このピアノ写真がなぜグロトリアンの歴史アルバムにあったか?
そして、下の文字の意味を武蔵野音大博物館で知ることになる。
歴史の節目のピアノのひとつだったようだ。