その1 ルーツと使用目的
なぜ?ペトロフ? その1 ルーツと使用目的
ペトロフのルーツは「南ドイツ・ウィーン派」です。
南ドイツ・ウィーン派の有名な制作者はシュタイン・ナネッテシュタイン・ワルター・シュトライヒャー・グラーフ等です。
また、現存のピアノメーカーではベーゼンドルファー・ザウター・ペトロフ等となります。
ピアノはベートーヴェンの時代に最も盛んに変化を遂げ、鍵盤の数や弦のテンションも強くなりました。ベートーヴェンは「南ドイツ・ウィーン派」のピアノや「イギリス・フランス派」のピアノをそれぞれ弾き比べたり開発のアドヴァイスをしたり出来たピアノ発展史でも偉大な貢献をした作曲家です。
最終的には彼は「南ドイツ・ウィーン派」の楽器が好きだったようです。シュトライヒャー氏にピアノのおねだりをしたりしています。その「南ドイツ・ウィーン派」の特徴は自然体の美しい音づくりです。音はサロンでの演奏に向いていて、長時間の演奏でも耳が疲れることもないでしょう。自宅で美しい音でピアノを楽しみ、リビングやサロンに鎮座するピアノとしてペトロフは最適でしょう。
その2 材質と構造
ピアノは多くの木材が響くように工夫してあります。ペトロフはベーゼンドルファーと同じように、使用木材を緊張させません。緊張させると強度は増しますが、音には共振しにくくなるからです。これはウィーン派のピアノ製作の一貫した特徴でもあります。
グランドピアノの側板の構造は響きの良いヒフィテ材を力や接着剤で曲げることをせず、立てに切れ目を入れる製法で曲げて行きます。ペトロフやベーゼンドルファーの「自然体の音」へのこだわりの構造と言えるでしょう。
弦設計におけるa1音のインハーモニシティーも高くなく低くなく0.58セント前後です。
音楽のメッカ、チェコの人々が育んできた音とこだわりは現代の楽器に脈々と受けつがれ、生きています。
その3 外装
なぜ?ペトロフ? その3 外装
「なぜ?ピアノは黒く大きくないといけないの?」小さな子供の素朴な疑問でしょう。
そういえば、コンサートホールや音大のピアノは殆ど黒いですね。
しかし、ヨーロッパの家庭のピアノは・・・?
そうです。木目のこだわったデザインで他の家具と調和を取ったピアノが多いです。ピアノは音楽文化として家庭の中に存在し、家具に合わせて選ぶものなのです。昨今の日本もやっとその時代になりました。
「木目でしかもコンパクト。そして良い音のピアノ」これがキーワードでしょう。
ペトロフの外装はチッペンデールやバロックモデルに見られるように、とてもロマンチックなデザインです。しかも、コンパクト。
日本のご家庭に適したサイズがメインラインナップです。
その中で、P-118はサイズとコストパフォーマンスで最もお勧めと考えます。
その4 鉄骨と総アグラフ
ペトロフの鉄骨は芸術品です。
鉄骨の余分な金属を減らすことは音の立ち上がりの反応が早くなると考えます。また、寺院の梵鐘や100年くらい前のNYスタインウェイのグランドピアノの鉄骨に見られるように表面の凹凸が響きをより良くすると考えます。
弦は最高音まで88の音全部がアグラフでとめられています。これにより、音の透明感と立ち上がりの鋭さを大切にしていると考えられます。
この方法はベヒシュタインの縦型ピアノも採用しています。
ペトロフはベヒシュタイングループのホフマンをOEM製造していた事もあり、技術的な部分と透明感のある音づくりは共通するものも多いのでしょう。
立体感のあるポリフォニーの響きがペトロフの主張です。
その5 チェコのピアノ作り 発祥
チェコは音楽家の国とよく言われます。創業141年にも及ぶペトロフ社の歴史の中で50万台以上のピアノが製造されてきました。ペトロフ社が今日の、世界的なピアノメーカーとして認められるまでの道のりを説明しましょう。
創立者はアントニン・ペトロフさん。父の仕事は建具屋さんでした。アントニン・ペトロフはピアノ作りを学ぶために、1857年ウィーンに向かいました。1864年に故郷に戻ってくるまでの7年間ピアノ製造の修行を積んだことになります。
さて、故郷では父親の建具用の仕事場で最初のグランドピアノの製作を始めました。この年、4台のグランドピアノを完成させた後、ピアノ製造業として成長して行きます。
その6 チェコのピアノ作り 戦と拡大
なぜ?ペトロフ? その6 チェコのピアノ作り 戦と拡大
1866年に勃発したオーストリア・プロシア戦争の重要な局面をHradec Kraloveの町近くで迎えたため、当分の間ピアノ製造を中断されてしまいました。それから、その後生産を再開し、元の工場では生産増加に追いつけなくなり、町の郊外に規模を拡大した製作場所を建設しました。Brnoへの街道にあったパブを買い取り、1874年に生産拠点の殆どを移しました。
1875年にはピアノアクションにダブルレペティション英国鍵盤を使用したり、常に技術的向上を心掛けていました。翌年には全工場を蒸気で動力供給するようにしています。
下請け工場にも恵まれ、鋳造工場の「Josef Porkert& Sons」社はオーストリア=ハンガリー帝国では初の完全鋳鉄フレームを提供してくれることになりました。
その7 チェコのピアノ作り 宮廷御用達ピアノ
なぜ?ペトロフ? その7 チェコのピアノ作り 宮廷御用達ピアノ
1881年、アントニン・ペトロフは、鍵盤とアクションの製造工場を開いています。また、アップライトピアノの製造も始めました。高い品質のピアノは家庭や学校、劇場、コンサートホールで見受けられるようになってきました。また、国内の博覧会にとどまらず、かずかずの賞を受賞しました。1894年になると、輸出が始まり、ピアノ製造を拡大して行きました。1895年にはオーストリア皇帝から「宮廷御用達ピアノ製造提供者」に任じられています。
その8 チェコのピアノ作り 法人化
なぜ?ペトロフ? その8 チェコのピアノ作り 法人化
1908年に、ペトロフ社は法人化されました。その頃にはA.ペトロフと妻のメアリーだけでなく、息子のJan、Antonin、後には末息子のVladimirまでもが、会社経営に携わっていました。また、同時にライバル社であった、Lhota Hradec Kralove、Kallas LitomyslとHeitzman of Vineaを買収し、ロンドンに新しい支社を開設しています。
1914年6月、第1次世界大戦勃発直前には、オーストリア皇太子のFerdinand dユEste公のもとに、グランドピアノを届け、ペトロフはオーストリア=ハンガリー帝国で最代のピアノメーカーになりました。
その9 チェコのピアノ作り 第1次大戦
なぜ?ペトロフ? その9 チェコのピアノ作り 第1次大戦
第1次世界大戦中(1914~1918年)は、会社の成長も一時中断され、ペトロフ夫婦の長男(Jan)と次男(Antonin)が軍役に就いています。ペトロフの創立者のA.ペトロフは大戦2年目に亡くなり、夫人はその3か月後に亡くなりました。
大戦後、チェコスロヴァキア共和国が誕生したことにより、ピアノ製作の新時代の幕開けとなりました。工場もフル稼働を始めました。当時の技術部長のPalacky氏は多くの技術改良を加えました。新しい生産技術行程並びに、新種のアクションを取り入れました。
その10 チェコのピアノ作り 輸出
なぜ?ペトロフ? その10 チェコのピアノ作り 輸出
高品質のペトロフブランドは年々、国内外での需要を増やして行きました。はじめは全ヨーロッパに、後にトルコ、南アメリカ、チュニジア、インド、エジプト、パレスチナ、日本そして、オーストラリアに輸出されるようになりました。当時355人の従業員がおり、年間2300台のピアノを製作し、空気圧式の自動アップライトピアノも製作していました。
この時代の最新式自動演奏ピアノです。打ち抜き穴の入った紙の細片に制御され、自動演奏しました。
その11 チェコのピアノ作り 三代目
なぜ?ペトロフ? その11 チェコのピアノ作り 三代目
1932年ペトロフ家第3代目となるDimitrij,EduardとEugenが会社の重役に就きました。海外に出て経験を積み、エレクトロ・アコースティック・ピアノ『ネオベヒシュタイン』の製造・販売権を手に入れました。現代でもホフマンブランドのOEM製造でベヒシュタイン社に協力したりしてますが、ここでもドイツ・ベルリンのベヒシュタインピアノと縁があるわけです。この「ネオベヒシュタイン」システムは弦振動がセンサーで認知され、アンプ・スピーカーによって増幅されるのです。
電気ピアノのさきがけでしょう。
その12 チェコのピアノ作り 第2次大戦
なぜ?ペトロフ? その12 チェコのピアノ作り 第2次大戦
1935年、ブリュッセルで開かれた世界博覧会でペトロフグランドピアノは最高の栄誉となるグランプリを授与されました。
第2次世界大戦が始まると再び、会社の成長は妨げられました。1945年の終戦により、新たな生産計画がもたらされました。
しかし、3年後、共産主義政権になり、会社は国営化されてしまいました。
そのような状況は共産主義独裁政権がチェコ共和国となり、1989年11月に倒れるまで継続したのです。
その13 チェコのピアノ作り 工業立国
なぜ?ペトロフ? その13 チェコのピアノ作り 工業立国
チェコはもともと日本と同じく工業立国であり、物作りへの国民意識は非常に高いようです。また、音楽家も多い国ですね。
物作りに対する律儀さはドイツや日本にも共通する部分かもしれません。
その土壌の中で、ペトロフは常に製品を向上させ、顧客へのサービスを提供できるよう歴史と経験を積み重ねてきています。
工場では、生産部門の他に音響研究課、設計課、開発課、専門技術サービス、運搬施設を有しているのも、その一例でしょう。
これらの各部門の総合力を持って小型アップライトからコンサートグランドピアノまで幅広いニーズに応えることが出来るのです。