C.BECHSTEIN モデルⅠ(1型・eins)コンサートモデル 平行弦 伝説の赤いベヒシュタイン

C.BECHSTEIN モデルⅠ(1型・eins)


カール・ベヒシュタインが働き盛りの53歳の時の製造 コンサートモデル。
彼はここまで作り込んでいた・・・。

ベヒシュタイン モデル Ⅰ(1型・eins)コンサートモデル
ローズウッド艶出
1880年製 平行弦 88Keys 象牙黒檀仕様

ヘルツ式ダブルスプリング アブストラクトアクション

ベヒシュタインが評判を得るにつれ、会社も上向いていった。
1860年代初め、ベルリン、ヨハネス通り3.6~5番地にオープンした生産工場は、1867年に隣接区(6~7番地)を買取り拡張した。

英露への輸出ブームや1870年の工場拡大によって、1年間で500台以上のピアノを製造できるまでになった。

1867年、カール・ベヒシュタインは672台で100万マルクを超える売上を出し、個人収入では80,000マルク稼いでいた。
こうして起業家として成功したにもかかわらず、彼は寛大で、非常に謙虚で、人間的深みにあふれ、いつも人々と友好的な関係を築こうとしていた。

第二の生産拠点は1880年、グリューナウアー通り38番地にオープンした。

その年、カール・ベヒシュタインは、ベルリンの郊外住宅地、エルクナーのデメリッツ湖岸に別荘を持っていた。


手厚いおもてなしで有名な彼は、多くの芸術家達をその田舎に招待した。オイゲン・ダルベールもその一人で、1883年、ベヒシュタインの別荘に滞在中にピアノコンチェルトを作曲した。

1892年、ベルリンにベヒシュタインホールがオープンし、ヘルマン・ヴォルフが芸術監督となった。このホールのデザインは、ベルリンフィルが使うコンサートホールの改築も担当したフランツ・シュヴェヒテンが行った。オープニングコンサートには、アルトン・ルビンシュテイン、ヨーゼフ・ヨアヒムとヨハネス・ブラームスによる弦楽四重奏、そしてもちろんハンス・フォン・ビューローが演奏した。

第3の生産拠点は、クロイツベツクのベルリン市、ライヒェンベルガー通り124番地に、亡日1900年3月6日の3年前に建てられた。


ライヒェンベルガー通りの第三の工場

ベルリン伝説『赤いベヒシュタイン』と共にパッサージュに登場

パッサージュメニュー

新着情報

pick-upおすすめ記事

イベント情報

ブログ

パッサージュ動画

タイトルとURLをコピーしました