グロトリアン ストーリー 輸入ピアノ GROTRIAN

グロトリアンシンギングトーン

100505_1053~01グロトリアンに行ってきた その1
近代ピアノのルーツ・グロトリアンに行くぞー!!
ブラウンシュバイクに行くぞ~!
ってなわけでやってきました成田空港!
お!飛行機はルフトハンザ!世界でも最も安全な航空会社だそうで…。
飛びます!飛びます!!
blog_import_501d61df6c324なぜ?グロトリアンなのか?
これを話すと長~いことになるので・・・。ここでの紹介はちょっとだけにします。
約50年以上前の話だが、日本のコンサート調律技術を世界1と言われるほどに進化させ、ヨーロッパの音の本質探るべくドイツに旅立った人がいた。
その名を故「杵淵直知」大正14年生まれで父親もピアノ調律の名士として有名でピアノ業界の超サラブレッド家系の人なのである。
その杵淵さんが当時親の反対のなかで、家族も東京に残し「ヨーロッパの音」をつかむべく渡独し最初に1年以上研鑽を積んだドイツ1流メーカーがグロトリアンなのだ。

blog_import_501d61e7ed680グロトリアンに行ってきた その3
さてさて、ドイツは遠い。地球はでかい!
私の恩師調律師の中にはヨーロッパへ行くのに当時シベリア鉄道で20日間もかけていった方もいらっしゃるのだが・・・。
今の時代は1ドル360円でもないし色んな事が便利になっている。
機内食も十分おいしいし。機内では日本語も十分通じるねぇ。
フランクフルト駅
グロトリアンに行ってきた その4
予定ではフランクフルト空港に入ってトランスファーでハノーファー空港のはずだったが…。
パイロットのストライキで飛行機が飛ばない?「おいおい!」と軽い突っ込みをかましたら、DB新幹線のチケットを手配してくれた。
ってなわけでやってきました。フランクフルターアルゲマイネ!ツァイテゥング?
ああ!新聞の宣伝か。
フランクフルト・アム・マインはピアニスト「サンソン・フランソワ」の出身地だそうで…。
家に彼女のLPレコードがあったっけなぁ。
blog_import_501d61fd7146aグロトリアンに行ってきた その5
世界有数のハウプトバーンホーフは私にはとても魅力的な建築様式でございまして。
blog_import_501d61fe3d5c5まあ、とにかくでかい。
blog_import_501d61ff1b384そんでもってプラットホームで待つこと20分。
やってきました。DB新幹線。
blog_import_501d61ffe96caおかげで、車窓からゆっくりドイツの景色を楽しみながらのハノーファー入りとなりまして…。
森の国ドイツの景色はとても雄大である。
遠くに山脈が見える日本とは違い、ほぼ地平線が続くのでちょいと物足りない感じもするが…。
blog_import_501d621f1281aグロトリアンに行ってきた その6
ハノーファー駅からはグロトリアン日本輸入総代理店社長のK.バンダさん運転の「スコダ社製」レンタカーが待っていてくれた。
ウィーンの3羽ガラス「パウル・バドゥラ・スコダ」とは何の関係もないようだが…。
そーいえば昔、武蔵野音大芸術祭にいらした時、ベートーベンホールでのコンサート調律のお手伝いをさせていただいたっけなぁ。
かっこいいマント姿で、とても背の大きな人ですよねぇ。
さてさて、このチェコ製自動車メーカーは戦車も作っているとか?
ところで、ヨーロッパの車はマニュアルシフトの6速でディーゼルが多い。
左ハンドルの6速シフト!う~ん日本では運転しにくそう…。
アウトバーンを飛ばすこと50分、コンサート調律の神様・杵淵さんも50年前に来たブラウンシュバイクにやっとたどり着いたのであった。

blog_import_501d6240e541dグロトリアンに行ってきた その7
これが、現在のグロトリアン工場。
ブラウンシュバイク市の中心街から北北西の郊外にある。
グロトリアンの4番目の工場になる。
最初はゼーゼン。その後ブラウンシュバイクに移り、2度の引っ越しの後にここに落ち着いた。
工場のロゴはグロトリアンの後にシュタインベックが続くのだが、ある取り決めの影響でここでは写さないことにする。
理由は後で述べることとしよう。  「グロトリアン」

blog_import_501d624b0b53c近代ピアノのルーツ・グロトリアンに行ってきた その8
玄関を入ると早速大きなアンティークアップライトが出迎えてくれた。
素晴らしいうクルミの根っこをふんだんに使用した特別なモデルだ。
blog_import_501d62505246a近くに工場スタッフの全員写真が飾ってあった。
人を大切にする経営姿勢が感じられた。
blog_import_501d6255a3051廊下はドイツらしくすっきりした感じで。
blog_import_501d6257634c7壁には有名ピアニストの写真とサインが多く飾ってあった。
blog_import_501d628784f90近代ピアノのルーツ・グロトリアンに行ってきた その9
ここで、グロトリアンの町「ブラウンシュバイク」についてお話ししよう。
ブラウンシュヴァイク(Braunschweig)はドイツの都市。ニーダーザクセン州の代表的都市であり、約24万5千人ほどの人口を有する。
これは、同州においては州都ハノーファーにつづく規模にあたる。
だそうで…。
ハンザ同盟で栄えた由緒正しき都市で文化の発信地でもあったようだ。
旧市街には複数の教会がみえる事も珍しい感じがした。
blog_import_501d6288bd7adこちら、旧市街の中心地にある建物。
中は、なんとハイカラ(表現古い?)なスーパーマーケット。
blog_import_501d628a852baこちら有名な建築家デザインのビルだそうで…。
なんだかドイツやなぁ…。
blog_import_501d629f549a0近代ピアノのルーツ・グロトリアンに行ってきた その10
心街の時計塔。ヨーロッパには時計塔や教会など素敵な建物が多く右脳が刺激されることも多い。
私も右脳人間のようで、直感で動くことが多くスタッフや社員たちを戸惑わせているようで、申し訳ありません。
blog_import_501d62a4450adここが中心広場のライオンの像。
中世の領主がライオンのような性格の人だったとかで、町のシンボルはライオンと相成ったそうだ。
blog_import_501d62a58a6b6夜にもシュタイン社長と夕食がてら、散策した。
きれいな星空で静かにたたずむライオンであった。
blog_import_501d63f260c62ゼーゼンに行った!
キッチンピアノが作られた建物はもうない。
現在の町の中心から少し離れたところに町のマークになっている建物と博物館があった。
blog_import_501d63b865b84ここがグロトリアンとスタインウェイの原点なのだ。
改装中で見学は出来なかったが、記念の地として両方のピアノが展示され、町の誇りとともに伝えられていくだろう。
当時の建物は白黒写真で何とか残っていた。これはグロトリアン社に伝わる資料に見ることができる。スタイン社長はすべて大戦でなくなったと言いながら、古い写真を詳しく説明してくれた。なんや?ないない云いながら、結構すっごい写真や資料がのこっとるやんけ!やっぱドイツ人って几帳面やなぁ…。
これもグロトリアン社の許可が出たら、お知らせしたい。
blog_import_501d63a18f3b5近代ピアノのルーツ・グロトリアンに行ってきた その12
グロトリアンのルーツ。それは、ブラウンシュバイクより50kmハルツ山の近く、ゼーセンの地にあった。
blog_import_501d63a35611cこれがなんだかわかるだろうか? 映画『ジュマンジ』ではないがそれ以上の衝撃を我々に与えてくれたのだが…。
blog_import_501d63a4b3c0eシュタイン社長は自ら史料室の古いアルバムを持ってきてくれた。
写真を一つ一つ見ながら説明をしてくれる彼の姿は、グロトリアンの歴史と音作りに対する愛情に満ちていた。
blog_import_501d63a659a80さあ!この写真は何かわかりますか?
これはスタインウェイの創始者・ハインリッヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェック氏が1835年にゼーセンの自宅キッチン土間で作った最初のピアノでグロトリアンの第1号の写真なのだ。
「グロトリアン・ストーリー」
blog_import_501d63b16da15近代ピアノのルーツ・グロトリアンに行ってきた その13
まあ!何ということでしょう!!(テレビのリフォーム番組風に言う)
んでもって、後にスタインウェイの創始者となるハインリッヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェック氏が1835年に自宅のキッチン土間で作った歴史的資料とも言えるグロトリアンピアノの実物が・・・
これだ!!(ここはテレビの珍発見番組風に言う)
他の資料には1836年ともあるが彼が作ったグランドピアノの製作年とごっちゃになっているようだ。1835年が創業年で、つまり第1号伝説の「キッチンピアノ」製作年で正しいようだね。
通常はBraunschweig郷土博物館でしか見られないのだが、たまたま、改装中とかで、現在のグロトリアン工場ショールームに展示中だった。音も聴けちゃいました。ラッキー!!
blog_import_501d63b865b84こちらの写真はゼーセンにある郷土博物館。
ここも改装中だったが、改装後はグロトリアンとスタインウェイが展示され近代ピアノの誕生の地として地元の方々の誇りとして受け継がれていくようだ。
blog_import_501d63b9e6808ターフェウルクラヴィア(スクウェアピアノ)でF~Fの6オクターヴ。
blog_import_501d63c1da01f巻き線には銀を使用しているようだ。
このチューニングピンの1本1本をハインリッヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェック氏が叩いて長方形にし作り上げていったのだろうか。
blog_import_501d63c8ca493こちらの建物がハインリッヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェック氏が最初にこのグロトリアンを作った当時のもの。現在のゼーセンにはもう存在しないらしい。貴重な写真だ。
後に彼はグロトリアンピアノ作りをグロトリアン氏と長男テオドール・シュタインヴェック氏に託してアメリカに渡る。
「グロトリアン・ストーリー」
blog_import_501d63d29df96近代ピアノのルーツ・グロトリアンに行ってきた その14
これも貴重な写真だ。H.E.シュタインヴェック氏の長男Th.シュタインヴェック氏がドイツに残り1850年から1859年までピアノを作っていた建物のようだ。この間ピアノ史にとっても偉大な出会いがあったようだ。
GrotrianStudio_Mailing.pdf - Adobe Readerグロトリアンの創始者ゲオルク・フリードリッヒ・カール・グロトリアン氏は1803年生まれ。
彼は1830年モスクワに渡りピアノ専門店を経営し成功する。
1855年に伯父の遺産を受け継ぐこともありドイツに帰国、この後運命の出会いがあった。
彼は、若きピアノ職人Th.シュタインヴェック氏を大いに認め、彼のピアノ工場に出資し、共同経営者となるのだ。
blog_import_501d63df9b524近代ピアノのルーツ・グロトリアンに行ってきた その15
1859年には、工場をブラウンシュバイクの地に移すことになる。
その当時の建物がこの写真だ。
ここは1944年の爆撃に会うまでグロトリアンの建物として機能していたようだ。
blog_import_501d63ec37c41また、グロトリアン氏は当時のドイツとしては画期的なショールームも作るべく後に改装改築したようだ。
屋根の左側の曲線のとんがり屋根の形はゼーセンの町の旗印に近い感じがする。
ゼーセンの町を愛する彼がわざわざ作らせたのかもしれないなぁ。…遠い目
blog_import_501d63f260c62これがゼーセンの町の旗のマークにもなっているシンボル的建物。
とんがり帽子、なんか似てませんか?
blog_import_501d63f41696dさてさて、これが内部。
展示中のグランドピアノ。
奥にアップライトも見える。
中央にレッドカーペットが・・・。
当時を伝える貴重な資料だねぇ。
blog_import_501d640b8fe1b近代ピアノのルーツ・グロトリアンに行ってきた その16
blog_import_501d6413a3d0dそして、1890年からの工場がこの写真。ブラウンシュヴァイクで2つ目の工場だ。
巨大な馬蹄形の建物で、中には線路も敷かれていたそうだ。
ピアノ作りの黄金期とも言える。
世紀末芸術とともに音楽もピアノ製造も豊かな黄金時代だったようだ。
blog_import_501d641522631これが現在の建物。
壁面にグロトリアン当時のロゴはまだ残されたままだ。渋いねぇ~。
blog_import_501d641d85bd3第二次大戦の爆撃で馬蹄形をしていた建物の半分は破壊された。
この建物は1974年までグロトリアン工場として使用されていたが、現在はブラウンシュヴァイク工業大学の校舎の一部で建築を専攻する学生の学び舎として活用されている Zimmerstrasse 24 だそうである。
blog_import_501d642ad539f近代ピアノのルーツ・グロトリアンに行ってきた その17
シュタイン社長との雑談の中でこんな写真も出てきた。
達筆過ぎる?ドイツ語。
多くが判読不明。
テオドール・シュタインヴェック氏が作ったグロトリアンなのだろうか…。
彼は1865年に彼の片腕とも言える調律師アーサー・フォン・ホルウィードとともに正式にニューヨークに渡っている。
名著「スタインウェイ物語」によると、1880年からテオドールはニューヨークからハンブルクにホルウィードとともに帰国、アメリカからスタインウェイ半製品を輸入しての組み立て事業を開始するが、その多くはロンドン直営店に輸出、展示販売されたようだ。
彼はブラウンシュバイクが相当好きだったらしく、帰国後、まず、ブラウンシュバイクの故郷近くに帰ったようだ。ハンブルク工場が軌道に乗り1884年にはブラウンシュバイクの大豪邸に移り住んでいたようだ。
ミュンヘン1888年とあるが、確か、彼は翌年1889年2月に天に召されている。
その後このピアノ写真がなぜグロトリアンの歴史アルバムにあったか?
そして、下の文字の意味を武蔵野音大博物館で知ることになる。
歴史の節目のピアノのひとつだったようだ。
blog_import_501d6444c17c5近代ピアノのルーツ・グロトリアンに行ってきた その18
お!出てきた出てきた!!
このピアノがなんだかわかりますか? え?
答えが鉛筆(ブライシュティフト)で書いてあるって?
blog_import_501d64466a34eヒントはこれ!
もうお解りですね。
彼女はコンサートツアー中にフランクフルトのピアノ専門店で初めてグロトリアンに出会ったようで、最初は興味無さそうにしていたが、途中から夢中で弾き始め店主に一言!
「今後、私はグロトリアンしか弾きません。」
おお!何という大胆発言! それだけ有名ピアニストだったんだねぇ。
この気持ちに答えてグロトリアンはクララにピアノを贈呈することになる。
その第1号が何と!日本にあるのだが、詳しくは後日。
blog_import_501d6447b88e3クララは旧ドイツ紙幣、100マルクの肖像画にもなっている。
ドイツにとってクララ・シューマンとピアノ音楽がどれだけ大切かを物語っていますよね。
blog_import_501d64574a53b近代ピアノのルーツ・グロトリアンに行ってきた その19
まあ!何ということでしょう!!(しつこい…。)
blog_import_501d645dceb38製造番号3848
クララ・シューマンが多くの演奏会で愛用したグロトリアンも工場に里帰り展示中だったのだ。
東京は江古田の武蔵野音大博物館に展示中のグロトリアンはもっと古く、製造番号1295だそうで、クララのグロトリアンに対するラブコールに答えて贈った最初のグロトリアンのようだ。
鍵盤蓋のプレートには
Grotrian-Heifferich-Schluz
Th Steinweg Nachtolg
Braunschweig
と書いてあるそうで。
Th Steinweg氏が渡米するので工場の権利をグロトリアン氏に販売した後の楽器ということのようだ。
輸入元社長のバンダ氏から聞いた話だが、グロトリアン氏は株の97%を所有し(当時の法律の関係で100%の取得はできなかったらしい)残りをヘルフェリッヒ氏とシュルツ氏が所有したようだ。Th Steinweg Nachtolg とは博物館の資料ではTh.シュタインヴェックの後継者という意味らしい。
ここでシュタイン社長が見せてくれた装飾の多いグランドの写真の謎が解けた。
少なくとも写真によると1888年まではGrotrian-Heifferich-Schluz のブランド名で作っていたのだろう。1890年にブラウンシュバイク2番目の大工場に移っているので、その時にGrotrian-Steinwegに変わったのかもしれない。
武蔵野音大博物館のピアノ、内部にもプレートが隠されており、「Clara Schumann 教授の為の特別仕様 Braunschweig 1871年」 と記されているそうだ。
そんな凄いピアノがよく日本にあるなぁ。
今更ながら、武蔵野音大すごいなぁ…。
今夏休み無休公開中だそうなので、今度行ってみよっと。
クララの逸話は数多く、暗譜で初めて弾いたとか、初めての女流コンサートピアニストだとか…。
病床のロベルト・シューマンを献身的に看病したとか。
ブラームスとのお話は…。本人たちのみが知る…。
blog_import_501d6464d6030譜面台の透かしも芸術的なデザインで…。
一同 神妙な面持ちでパチリ!
肖像画中央がフリードリッヒ・グロトリアン
右が息子の2代目 ヴィルヘルム・グロトリアン
blog_import_501d646eaf733近代ピアノのルーツ・グロトリアンに行ってきた その20
blog_import_501d64708d93c1920年代のアールデコ全盛のピーク時から世界大恐慌翌年(1930年)において、工場の大幅な縮小なども経験している。
奥行き140cmのベビーグランドや身の丈150cmの特大アップライトまで作っていたようだ。
その年の機種別生産台数や工場の職人数など見事な資料がしっかりと残っている。
う~む。さすが、ドイツ人。
シュタイン社長!貴重な写真を見せてくれて本当にありがとうございます。
今度は工場廊下に飾ってる写真を見てみよう…。
blog_import_501d6479b4134近代ピアノのルーツ・グロトリアンに行ってきた その21
ってな訳でやってきました工場の廊下…。
お!ジュリー・アンドリュース!!
小学校の6年の時友人家族で見に行った映画「サウンド・オブ・ミュージック」の感激は今でも心に強く残ってますです。ハイ!
音楽って本当に素晴らしいですよね。この映画は大好きな音楽に改めて目覚めるきっかけを作ってくれたような気がします。
彼女もグロトリアンオーナーなんでしょうね。
blog_import_501d647b06fc2お!ブレンデルとシュタイン社長のツーショット?写真もある。
ワインを片手に渋い顔のブレンデル!!
おしゃれなジョークでも話しているのだろうか?
「グロトリアンの素晴らしい音の暖かさと厚み重量感はきみ以上だよ。」…なんてねっ!
blog_import_501d6483d9a23近代ピアノのルーツ・グロトリアンに行ってきた その22
現代の女流ピアニストと言えば…。
宮沢 明子さんのグロトリアン好きは有名だから、当然写真も飾ってあった。
リヒテルやケンプと並んでだから、日本人としてもうれしいことだ。
blog_import_501d6484e2ce8 グロトリアン工場になぜ彼女の写真が…。
聞いてみたら、彼女はハノーファー音大のグロトリアンで多くを勉強したらしく、グロトリアンでも演奏力を大いに認め応援しているとのこと。
日本人!ドイツでも頑張ってますね。
ハノーファー音大はグランド・アップライト合わせて80台くらいのグロトリアンがあるそうだ。
毎日12時間以上使用されるその過酷な環境の中で、グロトリアンの表現力と耐久力はドイツ国内に鳴り響いているようだった。
私も10年間くらい音大専属調律師だったから、その使用頻度の激しさはよく理解しているつもりだ。
よし、それならハノーファー音大に連れてけぇ!とシュタイン社長にお願いしたところ…。
快くOK! よーし!明日はハノーファー音大だ。
blog_import_501d649a2e83fblog_import_501d64a954dd3近代ピアノのルーツ・グロトリアンに行ってきた その23
ってな訳でやってきました。ハノーファー!
blog_import_501d64aae209cシュタイン社長運転のワゴン車は快適でアウトバーンを心地よく50km走ってまいりました。
blog_import_501d64b6de0a2子供たちのためにも大型のワゴンにしたんだと。
でもやっぱり6速マニュアルディーゼル車なのだ。
blog_import_501d64b80bfd5こんな感じの入り口で…。
blog_import_501d64b979a2a最初にご挨拶してくださったのは、音大専属技術者シュテファン・バッカー氏。
柔和な人柄のようで、グロトリアンの楽器の素晴らしさを隅々まで理解されているようだ。
blog_import_501d64c28f325近代ピアノのルーツ・グロトリアンに行ってきた その24
最初に見学したのはリヒャルト・ヤコブ・ザール。
ホール内にはパイプオルガンもありました。
かなりお派手な枠のパイプオルガン…。ドイツやなぁ…。
blog_import_501d64c41b347室内楽のレッスン中だったようで…。お静かにお静かに…。
響きも豊かな感じがした。
blog_import_501d64d3b3a1f近代ピアノのルーツ・グロトリアンに行ってきた その25
構内中庭にはなんかようわからんもんが…。ドイツやなぁ…。
blog_import_501d64e0160b4音大には2名の専属調律師がいらっしゃるようで右の方は無口の職人気質ゲルベルト氏。
ピアノの前に座ったら、その眼光に鋭い輝きが…。
整調の鬼らしい。
その後「カタツムリ」というあだ名の練習室に行った。ここには多くのグロトリアンがあり、過激な使用頻度に耐えるように特別の調整をいろいろと実験中とのことだった。
blog_import_501d64e97202d実際10年ほど毎日10時間以上使用されたグロトリアンのグランドを見たが、信じられないほどのクオリティーを維持していた。
2人の技術力とグロトリアンの品質に改めて非常に驚いたの図。
blog_import_501d64f9c0c01近代ピアノのルーツ・グロトリアンに行ってきた その26
これが「カタツムリ」と呼ばれる音大練習室。
小菅優さんもこの練習室には大変お世話になったらしい。
このカタツムリピアノ練習室、なかなかよく考えてある。
階段がないもの面白いし、練習室各部屋の天井や壁が平行にならず定常波 が起きにくい構造となっている。
スパイラル状の廊下の底では学生がサッカーゲーム(アナログ盤?)に興じていた。
blog_import_501d64fc3f89a小菅優さんの記事が展示中だった。
音大でも有名人なのだ。
これが音大の建物全体の見取図。
一番下のひし形がカタツムリ練習室。
何かの形に似てませんか?
blog_import_501d64fdd8be0ヒント!
ここは音楽の大学。
ハノーファー音楽大学近代ピアノのルーツ・グロトリアンに行ってきた その27
正解は…。そう 耳の形をもじっているのだ。
blog_import_501d65908ef54御覧のように多くのレッスン室・教室・練習室が並び、形を作っている。
ドイツやなぁ…。
blog_import_501d6597d65c9バッカーさんはイギリス系だそうできっと手先が器用で細かい作業もこなす方なのだろう。
そ~いえば、国立調律科の後輩T君もはるばるニューヨークのジュリアード音楽院でピアノの管理技術者をやっているなぁ。
彼が渡米してもう20年以上かな。ジュリアードのピアノは100%ニューヨークスタインウェイだそうで驚いたものだが、ここハノーヴァーもグロトリアンが80台とは大したたまげた。
blog_import_501d65a1bc64d近代ピアノのルーツ・グロトリアンに行ってきた その28
グロトリアンでブラームスを弾いて感じるの図
地酒を地元で味わう…。ではないが、本場の求めている音をしっかり感じることが出来た。
具体的な感想はもう少し熟成させて機会があったら、お話しできると思う。
さてさて、ブラウンシュバイクにも市民ホールがあるとかでせっかくだから行くことにした。
blog_import_501d65a3c8324写真は入口に駐車中のトラック。
ノンベェの私は見つけるなり早速パチリ!
blog_import_501d65ab90b48入口は近代的ででかい!ドイツやなぁ。
blog_import_501d65cab8714近代ピアノのルーツ・グロトリアンに行ってきた その29
ロビーも広く休憩中にはワインやビールも頂けそうだ。

大ホール大ホール(グローサー・ザール)は何かのリハーサル中でした。
お静かに…。
小ホール小ホールは多目的のようですねぇ。
活気があって市民に活用されている感じですね。
シュタイン社長ご案内いただいてありがとうございました。
貴重な体験でした。
さあ、明日からはいよいよドイツの名門ピアノメーカー・グロトリアン工場内部に深く侵入だぞ~。

グロトリアン工場 鍵盤煙突

グロトリアン工場 鍵盤煙突

近代ピアノのルーツ・グロトリアンに行ってきた その30
さあ グロトリアン工場が見えてきました。
おっと、煙突が鍵盤だ。
キングコングが弾くのかいな。
何と!!この鍵盤エントツ、シュタイン社長のアイディアだそうで…。
ドイツやなぁ…。

グロトリアン工場 玄関

グロトリアン工場 玄関

こちらが玄関側。
シュタイン社長の愛車が見える。
blog_import_501d6071b857eグロトリアン・ファミリーという考え方・・・。
音楽が好きでピアノが好きでそれぞれの立場でグロトリアンの魅力に魅せられて集まってきた人々。
企業は人であるを地で行くグロトリアンのコンセプトがそこにはあった。
人を大事にし、歴史と伝統を敬い、いいモノづくりをする基本がここにあった。
無理に企業を大きくしようとはせず、一貫生産にのみこだわり、グロトリアンピアノに誇りを持ち、苦しいときも皆で助け合い、喜びは分かち合う精神がそこにはたたずんでいた。
よきモノづくりに携わる人々の誇りと喜びが感じられた。
ブラウンシュヴァイクの町も、とても落ち着きのある町で、食べ物も素晴らしくおいしかった。ドイツの食事がこんなにいけるとは…本当に初めての経験だった。
この町を治めていた人は「ライオン」みたいな性格だったとか?ライオンの性格?いつもはゴロゴロしていて肝心な時には吠えるのかなぁ?… んでその後、町のシンボルはライオン像になったそうだ。写真は町の中心地にあるライオンの銅像。
そこに人が集まって、思いやりの暖かい心がいい音を作り続けるのだろうね。きっと…。
人を大切にする企業理念はピアノパッサージュ経営コンセプトにも通じるようにしたいものだ。

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